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2009年2月24日火曜日

割り箸を考える

今日は罪悪感にまみれている。
というのも、「すきや」などに入ってしまったからである。ご存知牛丼のファーストフード店ですね。なんともハラが減ってしようがないので、ふらふらと入ってしまったのだが、まず、これが罪悪感の一つ。なんというか、チェーン店で食べるのは、あんまよくない気がしているのですね。まあ、近所の駅なんか駅前チェーン店だらけで、ほかに選択肢がなかったりもするんですが。
二つ目は、当然、牛丼を食ってしまったのだが、それです。トシを考えろと。そろそろメタボ的にもやばいだろと。なんでなのに大盛りとかにしちゃうのかと。
で、三つ目が、本題の割り箸である。

実は、私、マイ箸信者なのですね。折りたたみ方式というか、二つ折れ式のマイ箸を持ち歩いている。
こんな感じのもんです。

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ただし、昼飯時オンリー。というのも、酒飲むときにマイ箸にすると、すっかりご機嫌になって、忘れるから。実はすでに数回体験済みだったり。


で、「すきや」で割り箸を使ってしまった、というわけである。

別に熱烈なエコ信者というわけではない。マイ箸も、マイ袋も持っているが、ゴミが出るのがイヤなだけである。昔、ファミレスでアルバイトをしていたとき、割り箸が当然、死ぬほど捨てられて、ゲンナリとした思い出もある。インド人みたいに手で食えばいいという気さえする。

でも、最近、「割り箸を使うほうがいいんだ」というような意見を見ることがある。
「間伐材」だからいいのだと。ほら、最近、反エコ本、雑誌の反エコ特集とかよくあるじゃないですか。ああいうのに、よく書いてある。
間伐材とは、植林をして、それが成長するときに間引く材木のことである。太くないので建築材料にはならず、まあ、割り箸くらいしか用途がないらしい。だから、割り箸をどんどん使えというのですね。

反エコ本にしろ、エコ本にしろ、読者がチェックしにくいデータを多用することがある。たとえば、割り箸の生産高なんて知っている人はいない。ネットで調べれば出ていることも多いけれど、本を読んで反論を書こうという人以外は調べることもなく、本を読んで、「へえ」と終わりである。
確かに、割り箸に間伐材が使われることはある。が、現在の割り箸は90%以上が中国産だが、そのうちの間伐材の利用率はさほど多くない。というか統計データ自体ない。ただ状況としては、天然林を切りまくっているらしい。天然林を植林しているらしいので、そこに「間伐材」が出てくるわけで、間伐材もないわけではないのだが、その利用は楽天的かつ多めに見積もっても数%であろう。

そもそも、「割り箸=間伐材OK主義」のひとたちは、国内の植林の事情を知っているのだろうか? いや、間伐材を使おうというエコ派のひとたちにも問いたい。

私は山によく行く。そもそも間伐がされているような美林は、ごくわずかである。植林のブームは、1950年代で、薪や炭による家事からガスへの転換の時期でもあった。この時期に政府による誘導で、炭焼きに使われていた二次林や原生林を杉林に変えていったのである。
当時に植林をしまくった方はすでに老人であろう。子どもが継いでいればまだいいほうで、ほとんどの子は都心に出て、ふつうにサラリーマンとして働いている。それだって、すでに定年していてもおかしくないトシだ。

で、当然、山は荒れている。日本にはホントの原生林など実はわずかしかない。広葉樹のきれいな森も、多くは二次林である。炭焼きのために切って、また生えてきた森である。木の太さが揃っているような森がそれである。この国は、あらゆる資源を使って、細々と生きてきたのだろうと思う。
そして今、植林された杉林は、間伐はされている森もあるが、しかし、枝打ちさえされていないところも多い。間伐はされていても、そこいらに打ち捨てられていたりする。時に間伐材が捨てられ幾重にも重なり数百メートルは続く超デカいジャングルジムのようになっている沢があったりする。杉は腐りにくい。家にはもってこいだ。だから、本当に腐らないのですね。沢の中でもけっこう青々としていたりするのだ……。

結局、人手もなくて、身入りもよくないので、間伐材なんて使わなくなってしまったのだ。そして今、エコブームのあおりで間伐材の値段が急騰しているらしい。反対に言うと生かされている間伐材はそれくらいしかないのだ。日本の山は急峻である。谷の底にある間伐材をどうやって持ち上げるのだろうか? 持ち上げたところ、そこに車は入るのだろうか? で、いくらで買い取ってくれるのか? 1本1円にもならないような割り箸をいくつ作れば元が取れるのだろうか? それをおっちゃんがやっているような細々とした商いのラーメン屋さんが採用するのだろうか?

ちょっと山を歩けばわかるだろうに。

現場主義ではないのは、エコ本も反エコ本も同罪だったりする。
それと、反エコ本は単なる不可知論だったりすることもある。わからないならやらなくてもいいというような理論は、事勿れ主義と同じような気もする。

それと、この不況というか、「恐慌」は、脱化石燃料依存社会への足がかりにもなるし、そういう意味で山に、地方に働く人を呼び戻すチャンスであると思う。


って、なんだか憤っていますが。


で、まあ、割り箸である。
無駄だなあ、と思うのは結局のところ、燃やしてしまうからである。
ペットボトルのリサイクルなんて現実には20%しかされていない。でも、厚顔無恥というか、良心的な顔をして売っているのは、リサイクルしてまっせ的な情報がまことしやかに流れているからである。でも、5本に4本はゴミになっている事実をかみ締めつつ飲みたいものである。ちなみにペットボトルがペットボトルになることは1%ほどであり、リサイクルに運良くまわったペットボトルもブルーシートとかそういうものになっている。ペットボトルで飲料水を毎日のように飲む人には、なるべくならば、ブルーシートを日常的に使っていただきたい。
なお、アルミ缶は90%以上がリサイクルされているらしい。アルミ缶そのものに転生(?)するのは62%とか。優等生である。
いや、ほんとペットボトルは使わないほうがいいですよ。水筒、持ちましょうよ。けっこういいです。

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まあ、近所のディスカウントストアでいろいろと売っていて、吉祥寺だと「ロジャース」が上のモデル、遠見書房調べで最安であった。冬と夏が消費ピークらしく、その前後に買うと安いみたいです。

閑話休題。

ともあれ、でも、割り箸のリサイクル率なんて、ほぼ0であろう。まあ、当たり前である。
なので、悔しいのである。
で、思うのだが、どうして日本ではゴミ発電がないのだろうか。ゴミ処理で焼却するときに重油などを使っていることはよく知られている事実である。その変わりに焼却炉にペットボトルを入れちまえという学派も存在する。ペットボトルはけっこう景気よく燃えるのだ。
でも、燃やしただけで終わるのが寂しい。近所の学校とか老人施設とかに「お湯」として廃熱が使われるところもあるが、それにしたって余っていそうだ。お風呂屋さんのボイラーはゴミ焼却場よりも圧倒的に小さくても無理なくやっているわけだし。近所にお湯を給湯してくれればいいのになあ、とも思ったりする。
なら、発電に使えばいいじゃん、と思うのである。国内でも数箇所で行われているみたいだが、あちこちでやればいいのに。ついで言えば、重油を入れるのは生ゴミの水分のせいなので、生ゴミは発酵させてメタンガスにしてそれをついでに発電に使えばいいのに、と思う。残りは、肥料にすればいいっしょ。
でも安定した電力が出ないとかそういう話らしい。でも、その電力を電力会社に売ろうという魂胆(?)が話を面倒にするのであって、市役所とか学校とか、そういうところで使えばいいじゃん、という気がする。でも、ガスで家で発電するようなシステムもあるわけで、本当の理由は縦割り行政だとか、原発増やしたいからとか、面倒だとか、そんなことじゃないかと思う。風力発電みたいに、ランドマークっぽいエコでもないし。風力発電よか、よっぽど電気を作るんじゃないかなと思うけれども。

そうすれば、割り箸燃やしても、ちょっとは罪悪感を抱かなくても済むかもしれない。
 

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