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2009年2月13日金曜日

ベイトソンからカルトまで!

 
野村直樹さんからメールをもらい、リオタールの訳者である哲学者 管啓次郎さんの書評に、私が旧社でかかわった『やさしいベイトソン』が取り上げられているというので、さっそく拝見する。

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いや、また、これすばらしい書評である。いくつか「予想」を述べておられるが、だいたい当たっている(?)気がする。なぜ、ドンキホーテなのかは永遠の謎として放置しておくとしても、ともかく、いい書評である。ありがとうございます。
「も」としたのは、こないだ、『こころの科学』で拝見した江口重幸さんの書評も、正直、ぶっ飛んだからである。ぶっ飛び度で言えば、双璧である。川の向こう側にベイトソンの研究対象だった村がある(しかも、パプアニューギニアとかで)っていうのは卑怯なほど、すばらしいシチュエーションであり、そんな書評には言葉を失ってしまう。書評そのものがリアルに独立して存在しているかのようである。私が何を言っているのかよくわからない方は『こころの科学』を読んでください。ぶっ飛びますし、のけぞります。

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さて、管さんは、もうひとつブログをやっておられる。

野村さんの書評を探しているときに見つけたのだが、これまた、面白かった。
2月8日の記事は、なんと、服部文祥氏についての記事である。

http://monpaysnatal.blogspot.com/2009/02/blog-post_08.html

服部さんについて、なんと、「最重要の思想家のひとり」と書かれていて、これにも驚く。慧眼かもしれぬ。これは服部氏が書いた朝日新聞へのコラムへの賛辞であるが、この「ゲストであることをやめろ」という話がまとめられているのが服部氏の最新刊、『サバイバル!―人はズルなしで生きられるのか』である。

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私が服部文祥を知ったのは、もう7、8年近く前である。とある本に、目をぎらぎらさせた男の写真が掲載されていた。モノクロ写真のそれは、セルフタイマーで撮られた一葉であり、石の上か何かにカメラを置いたのだろう、微妙に傾いていた。その本の一隅に、「サバイバル登山を実践する服部さん」というような感じで写真とともに数行の記事が書かれていた。たぶん山に入って相当な日数がたっているのであろう、目が血走っているのである。確か、ほかのどこかでヘビを食っている写真も見たことがある……。
その異様にぎらぎらとした写真と、愛読する雑誌『岳人』にたびたび署名が載る編集者・ライターである服部文祥が結びついたのは、それからまもなくであった。おととしの夏だったか、その前の夏だったか、同誌上に、日高山サバイバル脈縦走という、無闇に面白い記事が出ていた。「何じゃ、この人は」と思ったのである。
その山行に関する話は、こちらの本にまとめられている。

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なお、服部氏は、たびたび誌面に顔をさらすのだが、まったく同一人物には思えないほど、よく顔が変わる。私は比較的相貌認知がいい人間であるが、まったくわからなくなってしまう。サバイバル前後で、きっと大きく変わるのでありましょう。

服部氏は69年生まれというから、私の少し上である。バブル時代を横目には見ていても、実質的には何の恩恵も得ていなかった世代であろう。私もバブル時代は大学生であり、弾けたとたんに社会に出て行かざるを得なくなり、残業を続けても増えない給料に、学生時代のバイト代のほうがよかった……と悲しくなったものであり。
その彼(私か)が「物質主義」あるいは「消費」に対し疑義を示すのはとてもよくわかる。

当時、バブルのころにもそういう流れがあった。必ず反流があるものだ。それは精神主義的な流れであり(その上に心理ブームがある気がしているが)、目立つ「精神主義」の一つとして、バブルの時代には新興宗教や自己啓発セミナーが花ひらいていた。今も覚えているのだが、テレ朝の夜中の番組で、「オウムvs幸福の科学」なんていう番組をやっていた。麻原以下、弟子たち数名と、大川以下、弟子たち数名が、「朝生」方式で大討論をするというトンでもない番組である(!)。もちろん、上祐はよく喋っていた…。ともあれ、そんなふうに「精神主義」は脱構築され、神秘主義に近づけられ、カルト化していった気がする。カルトを生むのは物欲主義の蔓延と、それに対する嫌悪であろう。そして、それは同じように、カルトではない、誠実さも生む。阪神震災でのひとのつながりと、オウム事件がほぼ同時に起きたのは、とても象徴的だ。
それから15年近くたった「不況」の今も、きっと何か大きなうねりを作り出すだろう。いいものも、わるいものも。
『カルトからの脱会と回復のための手引き』もその一つです。なんていうのは強引すぎる手前味噌ですね、すいません。

個としてのサバイバル登山の感性が、コミュニティに広がったらどうなるのだろう…。なんかちょっとわくわくする考えである。服部さんには期待したいのですね。頑張ってください。「岳人」はしっかりと読んでおります故。

まあ、自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。
ともあれ、上記の本は、どれも掛け値なしに面白いです。ベイトソンからカルトまで!
 

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