ああ山に行きてえ,と思った昨年の5月。アイゼンを履いて,長野の山を登った。同居人と二人でだ。一応,雪山なので,子どもは連れて行けない。お祖母ちゃんのところで留守番だった。
高曇りだったけれど,いい山だった。
家に帰ったら,子どもが言うのである。「どこに行っていたの?」
明らかに格好を見れば山帰りなのだが,そこまでの知恵はない。「お仕事」と言うのは簡単だが,ウソをつくのは気が引ける。
だもので,「天狗さんに会いに山に行ってきたんだ」と答えた。
「天狗山に行ってきた。息子くんのことはいい子ですよ~って伝えてきたんだよ。悪いことしたら怒りにきてねって」
まあ,さほどウソはない。八ヶ岳の天狗岳という山に登ってきたからだ。
山には鬼と天狗とお化けが住んでいるのだと,息子は信じているようである。そのうち一番偉いのが天狗だと,これは私が教えておいた。
実際,天狗信仰のある山は多い。修験道とかかわりがあるのだろう。都心に一番近い山? 高尾山は天狗の山だ。群馬の迦葉山や京都の鞍馬山(これが天狗三山というらしい)。長野の戸隠連邦も天狗がいる。というか,総本山なのか。ともあれ,どれも修験道の山のようである。民俗学には詳しくないので,ボロが出そうだが,ま,ともあれ,天狗である。
天狗というと,なんとなく,「饅頭怖い」のイメージがあるからか,ヌケているというか,怖くない雰囲気がある。鬼や幽霊のほうが,まあ,会いたくはない。天狗だって会いたくないけれど,でも,空を飛び,山を駆け抜け,大風を起こしたりするだけで,あまり悪さはしなさそうな感じがある。桃太郎にもやられなさそうである。
鬼には,人間の心の奥底にあるメタファーとしての悪,みたいな感じもある。「鬼になっていたよな,あのとき」みたいな。「鬼の形相」なんていうと,近づきたくない感じだ。でも,「天狗になっていたよな,あのとき」だと,まあ,阿呆であったということである。
しかし,天狗は山神であったはずで,鬼だの妖怪だの魑魅魍魎だのに比べば,位(くらい)はずっと高かったはずだ。けれど,まあ,近代社会においてメタファーにならなかった。都会の水が合わなかったのだろうか。。
そういうことも露知らず,わが息子は天狗を恐れている。一方で,山を駆けたり,木を倒したり,空を飛んだりするスーパーヒーローぶりにも憧れがあるようである。
これも昨年のこと,子どもと二人でハイキングに行ったとき,あまりにも「この山に天狗はいないか」とおびえるので,「お父さん,この山の天狗さん,知っているから,大丈夫」と言ってしまった。安心するかと思ったのだが,どうして知っているんだと聞くので,「お父さんの先生なんだ。お父さん,天狗になりたいんだよ」とわけのわかないことを答えていた。
答えてみてから,ハッと思ったのだが,「結局のところ天狗になりたいんだ」と私は思ったのである。
山を走り,滝を登ったりして,スキーを担ぎあげて滑り降りたり,などとやっているが,あれは天狗の修行と同様である。あと,パラグライダーでもすれば天狗に近づけそうな感じがする。ハードル高いけれど。お金もかかりそうだし。
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当然,いきなりのオヤジのカミングアウトに子どもとしては大いにびびったみたいであった。
「お父さん,天狗になっちゃ,ダメ~」と半泣きで怒られてしまった。怒られてしまったが,でも,天狗になるのはいいなあ,と思う。なんか,自由そうだ。
子どもに天狗の名前を出すと,おとなしくなったりする。やはり,「知り合い」というのが強いらしい。
でも,悪いなあ,という気分もあったりし,罪滅ぼしに,こんな本を読んであげたりもしたりして。
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まあ,↓の本でも天狗は寂しい人生を送っているから,半天狗くらいの中途半端な感じが一番幸せなのかもしれない。
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